中島の航空エンジン冷却研究(戸田研究) 冷却フィンの基礎研究 シングルシリンダ実験エンジンによる研究 総組立18シリンダでの運転試験 中島の冷却効果の評価 ライトサイクロンシリーズと中島誉エンジンの冷却仕様 サイクロンシリーズ冷却仕様雑記 誉エンジンについての戸田資料 冷却仕様の進歩とシリンダ出力の向上 ボア150mm以上の大径シリンダは歪みが出る R-1820の技術開発に要した年数 鋳込フィンについての解説 R-3350の開発過程で発生した多数の重大問題 誉10型誕生の経緯 栄31型誕生の経緯 誉21型(鋳込フィン)に対する私の関心事

12. 中島航空エンジン技術の重大欠陥

 以上、「世界の航空エンジン」を通読したが、本書のテーマである「航空エンジンのキーポイント」についての記事はどこにもない。
 エンジン設計のキーポイントはエンジンメーカーの秘中の秘であり、特定のエンジンの製造権は販売したり、製造の指導をしたりしてくれるが、企業秘密はデザイナーやエンジニアの移動を通ずる以外の方法では流出しない。
 中島は先進メーカーより多数の製造ライセンスを購入し、製造技術はロレーン、ブリストル、ライトから学んだが、彼等の企業秘密を学ぶことはできなかった。
 東大航空学科(エンジン専修)の主任教授富塚清先生は「航空エンジンでは信頼性が何よりも重要であり、そのキーポイントはピストンの研究にある」と教えられた。
 「世界の航空エンジン」の記事を注意深く読むと、ロールス・ロイス社の創立者ヘンリー・ロイスの「基本的な考え方に関する教え」とライト社のシリンダ冷却仕様がある。
 特に後者はシリンダの冷却面積データーはあるが、それが何を意味するかは書いてない。シリンダ温度の上限は何度であるか、又、それはピストンのシリンダとの当たりによるものであると考えられるが書いてない。
 今回「エンジン設計のキーポイント」改訂版を書くに当って旧著を点検すると、少数の間違いの外、見落としていた重大欠陥があることに気付いた。
重大欠陥が生じた理由は下記によるものであると考えている。
� 高性能を特に重視した日本海軍
 中島知久平は海軍出身であった。又、中島飛行機創立時代の中心的技術者は海軍出身者であり、海軍に近親感を持っている技術者が多かった。
エンジンの出荷先は陸海軍であったがエンジンの使用選択について剃刀海軍、鈍刀陸軍と云う言葉があった。
海軍は高性能エンジンを直ちに採用するが、その反面信頼性の低いエンジンは直ちに使用を打ち切った。この最初の例は三菱製イスパノ・スイザであり、2番目はダイムラー・ベンツ、3番目は中島の譽であった。海軍は信頼性を軽視していなかったが、中島はこれを忘れ高性能化に熱中した。
� 中島は技術進歩の速度を見誤っていた
 中島知久平の指導は、彼が海軍を退役して民間研究所を創設した理由に述べているように「飛行機の進歩は激烈であるために、製作期間が短くなければならない。年度予算会議で実施する官業は根本的に不適である」と喝破したのは正しかった。
 しかし、実際に自社開発が始まると、大学新卒の能力を過大評価し、知久平が直接指揮したので、先輩、経験者は手が出せず若い技術者の群雄割拠の形になっていった。これが「中島飛行機エンジン史」の“若い技術者集団の活躍”である。
 中島知久平が喝破したように航空技術は驚くべき速度で進歩した。特に第二次大戦が始まると、一段と進歩の速度を速め、その範囲も電子工学や宇宙にまで広がった。
 ドイツの例を見ると、ラムジェット飛行爆弾V1より、本格的宇宙飛行爆弾V2に移り、飛行機では遠心式圧縮機ジェットエンジンをへて多段式翼列の本格的軸流圧縮機ジェットエンジンが開発された。ジェットエンジン設計図が日独間情報連絡のドイツ潜水艦でもたらされた。海軍はこれらを見て驚き中島に試作を発注したが間に合わなかった。木型工は覚醒剤を打って連日徹夜を続けた。
 アメリカ海軍の電子機器も太平洋戦が始まると間もなく実用域にまで発達し、訓練を重ねていた日本艦隊の夜戦を無力化してしまった。
飛行機そのものについても太平洋戦争開戦後4年にして、B-29の大編隊により東京が焦土化されるとは誰が予想したであろうか。中島知久平はこれに気付き、米本土爆撃機「富嶽」を提案したが日本の技術では実現不能であった。
� 設計部間の組織ができていなかった
 この件は度々採り上げた。設計部門に人材がいなかった訳ではなく、新卒上りの実技経験に乏しい技術者はかなりの人数いた。しかし上記のように一匹狼の技術者達の集合であった。
著名エンジンメーカーのように経験豊かな指導者がいてデザイナーとエンジ
ニアーを組織し、開発テーマを絞って指導すべきであった。
� 運動部品に生ずる強い当たりの修正
 これも度々記述したが、いつ頃、誰によって始められたのか判らないが、重大欠陥である。
� シリンダ冷却の目的が誰にも判っていなかった
 これは、今回全面改定の目的で前著をチェックして発見した。後節に詳述する。

12.1.中島の航空エンジン冷却研究(戸田研究)
 戸田康明は昭和12年(1937)北大理学部を卒業すると直ちに中島飛行機に入社した。戸田は北大では中谷宇吉郎博士のもとで雪の結晶の研究をしていた。
昭和12年当時の中島の研究部は設備も人員も貧弱で、冷却の研究には殆ど手がついていなかったようである。
戸田が入社すると、その前年(昭11)入社し設計部配属となっていた中川良一より、シリンダ冷却の研究を依頼され、栄エンジンについて、シリンダの温度分布、バッフルプレート効果等を研究していた。昭和13年(1938)理研より福島栄之助博士が中島に入社し、基礎研究部門を担当する第一研究部長となった。福島は設備・人員を大幅に拡張して中島の研究は急速に進歩した。
戸田康明は中川良一が昭和12年(1937)より栄20型の設計を開始するとシリンダの冷却フィンからの放熱の研究を命じられた。当時の鋳物シリンダ冷却フィンはピッチ5mm、深さ約40mmであった。理想的なピッチと厚さを推奨して欲しいということであった。

12.2.冷却フィンの基礎研究
 戸田は長さ300mm、巾100mmのアルミブロックに厚さ0.8~2.0mm(7種)、ピッチ2.0~5.0mm(9種)、高さ40、60、80mmのアルミフィンを鋳込んだテストピース(組合せで約60種)を作り、ブロックの底を電気ヒーターで加熱し、フィンを包んで冷却風を一方から流して伝熱の研究をした。伝熱の研究には偏微分方程式を多用するので東北大学の専門数学者に教えを受けた。
 この結果基礎面の熱伝達率U(kcal/m2hr℃)が理論的に求められた。戸田はこの研究により理学博士の学位を受けた。
 冷却フィンは厚さ1mmでピッチ3mmが最良であると中川に報告推薦した。

12.3.シングルシリンダ実験エンジンによる研究
 福島部長は基礎研究は空き缶と半田ごてがあればできると教えたが、ダイナモメーター、送風機等を多数購入し、単筒実験エンジンを製作することに始まり燃焼波指圧計、高忠実度増幅器、波形の記録装置等を考案製作した。これらを駆使して、大学研究所並又は、それ以上の高いレベルの研究が行われた。
 研究報告は福島栄之助、戸田康明、近藤正夫、星徹、小林仙次郎の共同研究の名で出されたものが多い。しかし研究テーマは研究員発案もあったが、誉エンジン関係は中川エンジン担当から戸田への直接指示であったらしい。これはエンジン設計担当者の権限の強さを示すもので、戸田報告には“中川技師から命ぜられた”との文章が見える。これは中島開発部門の一つの欠陥であったと考えている。
 シングルシリンダエンジンでの冷却研究で次表の結果が得られた。
 各種冷却フィンの冷却性能(後部点火プラグ座温度℃で評価)
  運転条件 3,000rpm
  混合比  9.1
  大気温度 25℃に修正
  温度計測は5分間保持後
  鋳込フィンの厚さ 1mm
3mmピッチの鋳込フィンの効果は大きく、+400mmブーストで鋳物フィンの280℃に対し、206℃と低い温度であった。但し、鋳込フィンの深さは最高80mmであった。これはサイクロン系の鍛造材より削り出したフィンの深さに匹敵した。+400mmブースト3,000rpmの運転条件は誉10型を超える。ここにはシリンダの許容温度については何も書いていない。

12.4.総組立18シリンダでの運転試験
 シングルシリンダエンジンでの実験後、新山第2実験部長の指導により、実機運転テストが行われた。結果を次表に示す。
    エンジン「誉」 第2号機 第3号機 第5号機
   シリンダ
   ヘッド 鋳物フィン
    ピッチ 5 mm
     厚さ 2.5mm 鋳込フィン
    ピッチ2.2mm
     厚さ 1 mm ←
       ピッチ3mm
     ←
   点火プラグ Y1H4 Y1G1 試験用
     運転月日 昭16.6.16 昭16.11.21 昭17.1.22
     燃料供給l/hr
 ガソリン
 メタノール
515
152
500
157
500
150
冷却風圧力差
mmH2O
(後列4番シリンダで測定) 240 240 210

出力ps 1518 1546 1525
最高シリンダ温度℃ 240 222 195.8
出力、シリンダ温度は5分間保持後
(公称出力) 試験条件   回転数  2,900rpm
              ブースト +250mmHg
結果の判定
総組立エンジンでも単筒実験と同じく鋳込フィン(厚さ1mmピッチ3mm)は鋳物フィンより格段の好成績を示した。ここでも許容温度は書いてない。

12.5.中島の冷却効果の評価
 ここで重要なのは冷却効果を何によって評価するかである。
12.3.の単筒実験エンジンの部では「鋳込フィン3mmピッチ、1mm板シリンダの冷却は良好で他に比べて著しく低い」としか書いてない。
12.4.実機試験では「鋳物フィンシリンダ、鋳込フィンピッチ2.2mm、3mmのシリンダ3種類をほぼ同一出力で運転した結果ピッチ3mmの鋳込フィンシリンダの温度が最低であった」としか書いてない。
 又、同類の実験は鋳物フィンシリンダ(栄20型)、鋳込フィンシリンダ(誉20 型)について行われている。
1.混合比―シリンダ温度
2.混合比ノック限界での出力比較
3.シリンダ温度―吸入空気量
4.シリンダ温度の低下―出力増加(%)
等が計測されているが、シリンダとピストンの嵌め合い変化とその結果がエンジンの耐久性、信頼性に及ぼす見地からの評価は全然ない。
 即ち中島のシリンダ冷却研究は出力向上のみに向かっており、航空エンジンの第一条件である、耐久性、信頼性のことは念頭に全く無かったのである。これは実に不可思議なことであるが、現実であった。
 その後シリンダ温度と異常燃焼の実験が多数行われたが、これらは全く的外れであった。

12.6.ライト・サイクロンシリーズと中島誉エンジンの冷却仕様
 ライト社については、11.9に書いたが、サイクロンR-1820はカーチス・ライト社にとっては開発に成功した最初のエンジンであった。以後このシリンダを基にして、14シリンダ、18シリンダを開発し、各々を性能向上していった。
◎サイクロンシリーズの冷却仕様一覧表(附表9)(旧版附表9)
「世界の航空エンジン」にあるライト社のエンジン記述の中にある冷却仕様の記事から(一部は推測値による)纏めたものである。私の旧版が一部改定してある。(要注意)
 この表を基にして1シリンダ出力(ps/cyl)とシリンダ当たり冷却フィン面積(m2/cyl)、出力当たり冷却フィン面積(m2/ps)を算出したものが次表である。この表は難解な点があるので解説を加える。
ライト・サイクロンシリーズの冷却仕様
中島「誉」冷却仕様(参考)
 この冷却フィン面積の計算の根拠は、シリンダの温度を一定限度以下に保つためにはシリンダの発熱量の一定割合を冷却風に放熱しなければならない。この放熱量は冷却フィン面積に比例することにある。(これは理論的に証明されている。)
 「世界の航空エンジン」にはR-1820Fの冷却フィン面積はピストン面積の50倍(0.9556�)以上とあるが、これはあまりにも概略値である。戸田が集めた世界のエンジンの冷却資料に1.74�/cylという数字があるのでR-1820F型にはこの数字を記載した。R-1820型はライト社がカーチス・ライト社となって最初に開発されたエンジンであるのでF型となるまでに色々な数字が流出したらしい。
 信頼できる数値は1937年(昭12)に発表されたR-1820Gシリーズの1.8064�/cylである。表はこれを基準にして以下の手法により、各エンジンの冷却能力�/cyl、�/psを推定したものである。
 推定に当っては以下の条件を仮定した。
1. 単列9シリンダの全シリンダは同一冷却条件にある。
2. 複列エンジンでは前後シリンダの形状が異なり、冷却風の流れは前後シリンダにより相互に干渉を受ける。
3. 18シリンダでは14シリンダよりも前後シリンダの干渉が大きくなる。
4. 18シリンダでは前後シリンダの吸気管長さの差が14シリンダより大きくなり出力差が生ずる。(誉では前後出力差が100psもあったなど)これらの差違は最大出力の比較より算出した。
 表の構成は9シリンダシリーズ、14シリンダシリーズ、18シリンダシリーズの順に総排気量、出力(ps)、シリンダ当たり出力(ps/cyl)、排気量当たり出力(ps/l)、シリンダ当たり冷却フィン面積(m2/cyl)、出力当たり冷却フィン面積(m2/ps)、フィン仕様(9シリンダエンジンで用いられた西暦)、生産エンジン(最初に生産された西暦)が書いてある。(附表9参照)
 表中�~�と→は算出の順序を示す。G200、Hシリーズ、R-2600は逆算であることを示す。
 その次のシリンダ出力比較は同一冷却フィン仕様の14シリンダと18シリンダのシリンダ当たり出力と9シリンダ出力との比を示す。左側は出力の減少、右側は出力当たり所要面積を示す。�、�、�、�、�はこれを示す。
 2重星型は単列よりも冷却困難となり、困難の程度は出力が大きくなるほど増すことを示している。R-3350-23ではR-1820Hシリーズの1.227倍(m2/ps)の冷却フィン面積を必要とする。
 前述したように複列シリンダは前後列でシリンダ形状が異なり、相互干渉もあるので所要冷却フィン面積は単列より大きくなる。
R-2600とG100ではシリンダ出力比は107.14/111.1=0.9645と小さくなる。従ってps当たりの面積は0.0169m2/psと大きくなる。即ちシリンダ当たり冷却フィン面積は0.0169×107.14=1.8107 m2/psとなる。
以下Bシリーズは�、BBシリーズは�の計算となる。�、�複列18シリンダについても同様に計算できる。
 R-3350-23では単列の1.227倍の所要面積となっている。
12.7.サイクロンシリーズ冷却仕様雑記
12.7.1.誉エンジンについての戸田資料
 誉エンジンについては戸田資料に下記の数値がある。

 誉10型は鋳物フィンで生産され、誉20型は植込フィンで試作のみで量産は
不可能であった。
 これらの数値をR-3350と比較すると誉10型の100ps/cylに対応する数値はないが、単列シリンダの0.0163m2/psを用いると1.63 m2/cylの数字が求まる。複列シリンダに必要な面積は約20%増しの1.956 m2/cylであるので、
上表1.65 m2/cylでは大幅不足である。
 誉20型は戸田の研究結果から得られた推奨仕様でR-3350の0.01957 m2/psに比較して充分な面積であった。

12.7.2.冷却仕様の進歩とシリンダ出力の向上
 サイクロンR-1820の冷却仕様の進歩とシリンダ出力(ps/cyl)の向上の関係を調べると下記のようになっている。
 「世界の航空エンジン」の冷却フィンについての記述によれば
 G100 冷却フィン面積を2,800平方インチ(1.8063 m2)に増した。
 G200 更に深いフィンをつけた。
 [参考] 中島の鋳物冷却フィンはピッチ5mm(1/5インチ)深さ最高約40mm程度であった。この寸法は砂型(油中子)の限度で世界中同じであったと思う。住友金属の金型低圧鋳造も同じであった。
 アメリカでは油中子より強度がありガス抜けがよいシェル中子が実用化され、G200には更に深い鋳物フィンが生産に使用されたかもしれない。

12.7.3.ボア150mm以上の大径シリンダは歪みが出る
 Hシリーズのシリンダバレルは周囲方向の温度差が大きくなって歪みが生ずるため(ボア150mm以上のシリンダは高出力エンジンには不適であることの根拠となっている)、シリンダバレルに削り出しのフィンの代わりに細かな溝を切ってW型に成形した半円形のアルミフィンを植え込んだ。またシリンダヘッドはアルミ合金鍛造材より全面削り出しとし、フィンピッチは5mmであったと思う。(東京空襲で撃墜されたB-29のエンジンを見た。)
 Hシリーズの最終型1,525ps/2,800rpmは1950年代を通じて生産された。1,525psの冷却フィンは写真で見ると1,350psより更に改良され、シリンダヘッドの冷却フィンピッチは前半分は粗くなって後半分は前半分の1/2になっている。

12.7.4.R-1820の技術開発に要した年数
 サイクロンR-1820の出力向上は冷却能力の向上にともなっていて、各段階の技術進歩には3~6年間を要した。(12.7.2.参照)
 18年間、ボア156mm、ストローク170mmは不変であった。(14,18シリンダ)
ピストンの受熱の大部分はピストンリングを通してシリンダに流れるが、ピストンリングは何回も変っている。ピストンは燃焼の外、ブースト圧向上による高いガス圧を受けて変形するので強化され、また温度が上昇すれば潤滑油で冷却されたであろう。
12.7.5.鋳込フィンについての解説
 鋳込フィンは米国誌に一度出て(私の大学時代)世界の関心を引いたが、量産不能と判り消滅した。中島はこれと全く別に戸田が理想的な冷却フィンのピッチを求めるためにテストピースを造り、これを発展させたものである。しかし結局量産不能と判り、金型低圧鋳造を採用するに止まった。これは砂型鋳造フィンと大差なく、誉20型は結局失敗に終った。しかし、戸田の20型冷却面積推奨値は正しかったことを特記しておきたい。ライト社では、前記の如く鍛造材より深い冷却フィンを削り出したのである。鍛造材より削り出す工作法は中島が空冷エンジンを導入したブリストル社ではジュピター9F型より採用していた。勿論中島は知っていた。

12.7.6.R-3350の開発過程で発生した多数の重大問題
 R-3350は前記のように1936年に設計が始まったが、1938年(昭13)からほぼ20年にわたりライト社の重要なエンジンに成長していった。しかしながら、その開発過程には多数の重大問題が発生した。これらを解決するために陸軍の開発プロジェクトを中止して多くの技術者が集められた。重大問題は混合気の配分不良、容量の大きな吸気系の破滅的なバックファイヤーの発生、飛行中の火災発生などがあった。B-29への搭載はこのエンジンにとっては極めて重要で高高度での過給のためターボチャージャーの開発があった。そのため燃料直接噴射装置の開発、離陸時の出力向上のための水噴射の開発などがあったが、これらの採用は戦争が終るまで待たなくてはならなかった。
 中島の誉エンジン不調問題の解決に、他の開発プロジェクトを中止して技術者を集めるような組織的な活動はなかった。当時並行プロジェクトはNBH、NAN、ハ39、ネ230があった。
 既述したが設計部門に指揮者が不在であったことは中島の重大欠陥の一つであった。

12.8.誉10型誕生の経緯
 中島エンジン史には誉11型(鋳物フィン)と誉21型(鋳込フィン)の生産期間は昭17~20とされているが11型から21型に変った時期は不明である。
 又、誉の母体となる栄は誉の発想当時は1,000ps(35.8ps/l)であった。誉の目標出力は2,000ps(55.8ps/l)で性能があまりにもかけ離れていた。
 このようなことが起こったのは経緯があると思われるが中島エンジン史には何も書いてない。
 以下は、私の推測記事である。
 先ず誉とデュープレックスサイクロンR-3350の開発時期を比べてみると次表の通りである。
  ライトR-3350と誉の開発時期対比

 誉の試作1号機の組立完了時期はR-3350より約5年遅れであって、R-3350が2,000ps目標であったことは中島には知られていて、実際に出力も2,000psと信じられていた。
 誉の出力目標が何馬力であったかどこにも書いてないが、R-3350の2,000馬力に対抗するものであったであろう。
 既述のように戸田の推奨した冷却仕様は2,000馬力出力に対応できる冷却能力であった。
 しかし戸田の鋳込フィンは基礎面からの放熱を理論的に求める模型であってシリンダヘッドに適用可能かどうか判らなかった。
 中島は冷却フィンの基礎実験より鋳込みフィンを使用すれば誉エンジンで2,000馬力を得ることが可能であるが、鋳物フィンでは冷却面積が不足することを知ったので、先ず鋳物フィンシリンダで1,800馬力エンジンを完成し、鋳込フィンシリンダが完成したときに2,000馬力に向上することにした。
 この案を1940年(昭15)初め海軍に提出した。この案は海軍部内に大きな反響を呼び、すばらしいという人と、できるとは考えられないと言う議論があった。結局、1940年(昭15)9月15日に試作命令が出され、下記の予定を厳守することになった。
  機械工事完成        1941年(昭16)2月15日
  組立完成          同年     3月15日
  第一次運転及び性能運転完了 同年     3月31日
  第一次耐久運転完了     同年     6月 末 日
 誉11型1,800馬力は1942年(昭17)9月制式エンジン採用が決定し海軍から「誉」11型と命名されて生産に入った。
鋳込フィンシリンダヘッドの製造方法は三鷹にあった正田飛行機が試作に成功し、この方法により量産するため田無の鋳鍛工場内に新建屋を建築して増加試作に入った。
 増加試作部品を用いて完成組立エンジンを作り性能運転を始めた。鋳込フィンは模型実験とシングルシリンダ実験エンジンと同様に計画通りの性能を発揮した。
 鋳込フィンエンジンが海軍より2,000馬力として制式に採用された時期は何日か記録がないが「誉」21型と命名され生産に入った筈である。筈であると書いたのは曖昧な書き方であるが、これには下記のような事情があった。
 鋳込フィンシリンダヘッドの鋳造はアルミ板の間にディスタントピースの鋼材をはさんで鋳込むが温度が下がると膨張係数が大きなアルミ合金が収縮してディスタントピースを抜き取ることができなくなる。
 このため、かなりの高温状態でこの作業をしなければならず、作業者にとっては灼熱地獄であった。とても量産はできないとの結論に達した。
 このような事情があって「誉」21型2,000馬力エンジンは何基生産したのか記録がない。生産機が出荷されてもほんの少数であった筈である。
 又、このころ住友金属工業の低圧鋳造(フランス ブルーノー社より技術導入)がシリンダヘッド鋳物に実用化された。これは砂型鋳物と同じ図面であるが冷却フィンの形状は理想的で鋳肌はなめらかで面積は同一であっても冷却効果は鋳物フィンより多少大きかったであろう。鋳込フィンシリンダの量産ができないので、ブルーノー方式に統合することになった。(中島飛行機エンジン史132頁)この文章で不明瞭なのは何を何に統合したかである。即ち、誉11型1,800馬力(400mmブースト、2,900rpm)か、誉21型2,000馬力(500mmブースト、3,000rpm)かである。「中島飛行機エンジン史」の星型エンジン一覧表(3)には誉11型と21型を区別しないで生産期間昭和17~20(1942~1945)に8,747基生産とある。
 又、誉の生産は昭和18年(1943)   約200基
          〃 19年(1944)   5,400基
         〃 20年(1945)   3,150基
 とあり、搭載機は紫電改(川西)、疾風(中島)、銀河(海軍)、彩雲(中島)などで19年後半が主力との記事がある。
 これらの飛行機の中で彩雲は誉21型2,000馬力が初めて実戦に参加した飛行機で中島設計、中島製造の海軍司令部偵察機であった。偵察の帰途“我に追尾するものなし”との無線通信を発した。これは米国のどの飛行機より高速であることを意味し、中島飛行機は会社全員が小踊りして自慢しあったことを私は記憶している。
 住友金属製のシリンダヘッドを使用したエンジン“誉”21の仕様(過給圧+500mmHg、回転数3,000、2,000馬力)で生産されたと考えられる。田無鋳鍛工場のシリンダヘッド鋳物は終戦時まで稼働していたので“栄”エンジンと共に“誉”11型も生産されていたと思われる。
 尚、後述するNAM(栄31、ハ115)は設計担当者が「誉」と同じ中川良一であり、生産期間も昭和17(1942)~20(1945)と“誉”と全く同じであった。従って中島製シリンダヘッド粗材は「栄」と「誉」の2種類があった筈であるがその生産割合は判らない。この外に戦争末期には浜松工場も生産立ち上がりをしていて、“誉”か“栄”を生産した筈であるが全く判らない。(生産数台との記録もある)
 以上を総合して「誉」の生産を推定すると、昭和19年(1944)11月24日よりマリアナ基地からの中島飛行機エンジン工場の空襲が始まり生産現場は混乱し“誉”及び“栄”の生産仕様が明らかで無くなったらしい。私の推測では“誉”21型2,000馬力仕様で大部分が生産されたと思う。
 本節の標題から外れ、次節12.9.「栄31型の誕生」と関連するが、「栄」31型(ハ115)について少し書いておきたい。中島エンジン一覧表に「栄」31型(ハ115)があるが、このエンジンの記事はどこにもない。「栄」31型の性能は21型と全く同じであり、21型と異なる点は
  l “メタノール使用”の備考と圧縮比の記入がない。
  l 生産期間が「誉」と同じく昭和17~20年(1942~1945)となっていることで
ある。
 エンジンの性能には燃料のオクタン価がつきものであり、欧米の高性能エンジンの場合はオクタン価、特殊燃料(例えばロールス・ロイスは1931年シュナイダートロフィーレースの直後にベンゾール30%、メタノール60%、およびアセトン10%に比率を増し、さらに1ガロン当たり4.2ccの4エチル鉛を加えた燃料で2,783馬力(75.83ps/l)の出力を得たとある。又、ブリストルは1939年(昭14)までに100オクタン燃料を使用したとの記事がある。
 中島飛行機ではオクタン価に関する記事は僅かである。
誉は設計開始時には100オクタン燃料が前提であったのに太平洋戦争開始直前100オクタン燃料は対日禁輸となり自由に使えなくなった。誉の生産を開始した昭和17年(1942)には海軍より「100オクタン燃料は到底使うことができない。せいぜい90~88モーターオクタン価でエンジンを完成すべし」という指示があった。これは非常に大きなショックであった。エンジンの燃焼状況はすっかり変わってしまい、点火プラグの熱価を上げること、ブースト圧を少し下げること、点火時期を遅らせること、燃料の分配をよくすること、メタノールなどを多くして異常燃焼を防ぐこと、植込フィンシリンダヘッドを使用することなどが対策として研究されたが、これらは効果はあるものの決定的ではないことが判った。(以上は中島飛行機エンジン史より)
 日本は航空燃料を米国よりの輸入に依存し、石油化学は未発達であったことにより、陸海軍、航空エンジンメーカー共に高オクタン価燃料に無関心であった。この点ドイツと大差があった。

12.9.栄31型の誕生の経緯
 上記のようにガソリンのオクタン価低下のため、ノッキング防止策として、メタノール、エタノール、水を噴射する実験を行うことになった。
 実用化の対象として栄20エンジンが決った。手順としては先ず単筒実験エンジンで指圧線図をとるための指圧計の開発に始まり、ガソリンのみ、水噴射、50%水メタノール噴射、純メタノール噴射の最高馬力(2,700rpm、250mmHgブースト、でガソリンのみの混合比8~18条件)を求めた。続いて実機に結果を適用した。これが栄31(ハ115)である。(1985年(昭60)航空技術4~6号、航空技術回想記、戸田康明記より略記)
 中島飛行機エンジン史には栄31に使用したガソリンのオクタン価については何も書いてないが、戸田の文献には84オクタンの記入がある。
 結局、中島飛行機エンジン史にあるように、この時代に中島で燃料の改良に使った技術は決定的な効果は得られなかった。方法としては栄31型が84オクタンガソリン+メタノール噴射で耐久性、信頼性が低下しないならば栄31型の性能まで誉の性能を下げる(55.9ps/l→41.2ps/l、即ち2,000ps→1,725ps)のが最善であったと私は考えている。
 「誉」の開発は1939年(昭14)着想し、1942年(昭17)海軍より「誉」として命名され生産にはいるまで足かけ4年であり、設計担当は、この間非常に苦労したと書いている。
「R-3350」の開発過程を調べると
   設計開始          1936年(昭11)1月
                   試作1号機組完 9月
   戦時型R-3350-23型完成   1943年(昭18)
とある。この間、足かけ8年を要している。
 「誉」の開発はR-3350-23型の開発に比較すると極めて粗雑であったと言わざるを得ない。中島飛行機のエンジン技術の限界であったのであろう。

12.10.誉21型(鋳込フィン)に対する私の関心事
 誉21型(鋳込フィン)に対する私の関心事は、何基生産され、実戦に使用されてどのように活躍し、耐久性、信頼性はどうであったかということにつきる。
 その前提条件として21型のピストンはどんなピストンが選定されたかである。栄のピストンを使用したか、誉11型のピストンを使用したかである。
 誉エンジンの冷却系の実験結果を図表で表すと附図-1となる。単筒エンジンと実機の実験条件は異なっているが、この図から誉11型(鋳物フィン)と誉21型(植込フィン)の最高温度を推定すると、
 誉11型は2,900rpm、+400mmHgブースト、1,800psで約290~310℃
 誉21型は3,000rpm、+500mmHgブースト、2,000psで約230~240℃
となる。
 誉11型はシリンダ温度が従来経験したことのない高温に達していたので、ピストンのシリンダとの当たりは大きく修正され、嵌めあいはガタガタになっていたと思われる。即ち誉の耐久性、信頼性はすでに失われていたと考えられる。
 誉21型がこのピストンを使用していたならばシリンダ温度は約65℃低いので、ピストンのガタはかなり縮小したと考えられるが、シリンダ温度230~240℃に合せたピストン(栄30型がこの付近と推定される)には及ばない。
 中島のエンジンで最も多量に生産されたのは誉の母体エンジンである“栄”であり、12型940psより31型1,150psまでが昭和14年(1939)~昭和20年(1945)間に中島で21,166基、他に川崎で6,681基、石川島で2,268基、合計30,115基が終戦日まで生産し続けられた。搭載された飛行機は新鋭機ではなくなったが、零戦と一式戦で、実戦で信頼性を失わずよく働き続けた。
 この栄の最高シリンダ温度は記録がないので誉の冷却実験(附図-1)から推定してみる。
栄の冷却フィンは誉鋳物フィンと殆ど同じであったので、栄31型の最高温度は約230℃止まりであったと推定される。
 即ち誉11型出力は1,150ps×18/14=1,479≒1,480ps
に抑えておけば栄31並の耐久性と信頼性を保持した筈である。

inserted by FC2 system